2024年 12月 24日
昭和のあの頃の住まい--1
押入れがあったような記憶がないのです。布団はたたんで積み上げていたように思います。しかしあったかもしれません。その場合隣りとの関係で部屋がどうなっていたか、ちょっと割り振りが合わない気がするのです。こういう造りの部屋がとにかくよっつ並んでいました。トイレは勿論ありません。廊下を抜けた広場に集合共同トイレがありました。その形も朧ですがおいおい作ってみたいと思います。
火はどうしていたかというと、石油コンロの小さいのがあって、それで煮炊きをして、三畳の部屋に卓袱台を置いて食事をしました。当時もっともなごちそうはクジラのカツでした。兄の好物でしょっちゅう食べたがっていました。私は幼い頃は何故か肉気が全然ダメで、後にはソーセージも食べられない程で苦労しました。当時のソーセージは今と違って嫌な臭いと風味がしました。あとはどんなものを食べていたのか、もうまったく覚えていません。私には食事が楽しいという程の記憶がないのです。何を食べてもあまりおいしくなかったのじゃないかと思います。楽しみは玉子焼きくらいだったかな。今では信じられないでしょうが、弁当に玉子焼きが入っているだけで上流だったのです。
この時代はテレビはもちろん扇風機もなかったのでして、夏は窓と玄関を開けて寝ていました。どの部屋もそうでした。そういう状態だったので、何故か二階の部屋に住む遊び仲間のガキタレが部屋に忍び込んできたことがあってビックリしました。子供が寝ぼけたのだろうと言うことで事件にはなりませんでした。当時はたいていどんなことも事件にはなりませんでした。
食事が終わったら、何しろテレビはないし当家はラジオもなかったのですることもなく寝るのですが、卓袱台を片して、兄がこの三畳間で寝ていました。私は父と母の間で寝ていました。兄だけ離れて寝るスタイルがこのころからずっと決まりになってしまいました。今振り返ると不思議なことだと思います。齢は六つ離れていました。
遠い子どもの頃を思い出しますね。
狭いながらも暖かく厳しい触れ合いが。





